チョコレート戦争 (大石真)

先日エントリ(本をあまり読まない中高生に薦めたい10作品(その1)本をあまり読まない中高生に薦めたい10作品(その2))を書いているときに思ったのだが,私がよく覚えている児童文学や絵本は,食い意地が張っているからなのか,料理やお菓子に関するものが多いようだ.そのような作品の中でも,今回は,私の大好きな作品である「チョコレート戦争」について書いてみたい.


チョコレート戦争は,大石真による児童文学で,初版は1965年,いまだに人気のあるロングセラーである.そもそも,タイトルからして,小学生くらいの児童の心を鷲づかみするに違いない.チョコレート(ショコラ)といえば,酒飲みの私でも胸躍るような,そんなお菓子を思い起こさせる.


そのような洋菓子の中でも,特にフランス菓子を扱う高級な洋菓子店,金泉堂(きんせんどう)が,本作品の主要舞台である.


金泉堂のお菓子は,舌もとろけそうなおいしさであるという.そこではシュークリームが正式にシュー・ア・ラ・クレームと呼ばれ,エクレアも,エクレールと呼ばれていた.これだけで,食欲が刺激されるではないか.それ故に,大人も子供も,金泉堂のフランス風洋菓子が大好きであり,それを食べることは特に子供にとって,憧れの行為であった.


その金泉堂のお菓子のおいしさが分かるような描写として,ここでは,主人公の明(あきら)が金泉堂のエクレールを食べるところを引用してみたい.


 テーブルの上に,紅茶がはこばれ,そして,宝石箱でもひらくようにして,ケーキの箱のふたがひらかれると,思わずつばがこみあげ,いくじなく,のどが,ゴクンとなった.

 ああ,金泉堂のケーキをたべるなんて,なんて,ひさしぶりだろう!

(中略)

 エクレール――それは,シュークリームを細長くしたようなもので,シュークリームとちがっているのは,表面にチョコレートがかかっていることだ.(中略)

 明は,口をできるだけおしあけて,その大きなエクレールを口のなかにおしこんだ.すると,かたいようでやわらかい,やわらかいようでかたい,その皮のなかから,かおりのよいクリームが,どっとながれこんできた.

 うまかった.舌がしびれ,口じゅうがとろけそうなほど,そのエクレールは,うまかった.


ああ,エクレール! ここを読むと,私は,エクレアの香りのよいクリームが口いっぱいに広がっているような思いにとらわれるのだ.


…と,ここまで書いてきて,私は,もうこの作品の面白さを十分伝えられたような気になってしまった.しかし,チョコレート戦争は,ストーリーも大変面白いのである.


この作品は,大きく言って,以下のように構成されている.すなわち,著者がまず,小学校の先生をしている友人を訪れる.この小学校では,なんと,毎月一回金泉堂からケーキがふるまわれるのである.その理由を説明する友人の手紙に基づいた内容が,本編となる.


本編は以下のような内容である.金泉堂には,チョコレートなどのお菓子でできた,一メートルもあるお城がショーウィンドウに飾られている.あるとき,小学生の光一と明がそこを訪れたのであるが,ちょうどそのとき,突然ショーウィンドウのガラスが割れてしまう.そのため,光一と明は,金泉堂の社長である谷川金兵衛などから犯人扱いされる.いくら光一と明が違うと言っても,彼らは信じてくれないのだ.悔しくてたまらない光一は,仕返しとして,友達と一緒にチョコレートの城を盗み出そうとする.こうして,金泉堂と光一たちの間に,「チョコレート戦争」が始まったのである.


金泉堂の主人谷川は,子供を理解しようとせず,自分の主義主張を子供に押し付ける存在としての大人の象徴である.子供のころ,自分の気持ちを理解してくれない,絶対的な存在としての大人に対し,歯ぎしりするような悔しい思いをしたことは,誰でもあるだろう.


しかしだからと言って,お店のものを盗み出す行為は,子供であってももちろん許されるものではない.光一の計画はうまく行くのか?またそもそも,誰がショーウインドウを割ったのか?こうしてこの物語は,読者の心をざわつかせるようにして進んでいく.


だが物語は,予想もしない形で展開していき,やがて大団円を迎える.ストーリー中に感じる,はらはらし,いらただしいような気持ちは,きれいに一掃され,爽快な結末を迎えるのだ.チョコレート戦争は,紛れもなく上質のエンターテイメントである.


また,この物語は,それだけではない.上で述べたこの物語の構造を考えると,結末を迎えた後,金泉堂がなぜ毎月子供たちにケーキをふるまっているかの理由も分かる.いわばそれはループであり,こういった構造もあって,私は,この作品に,永遠性のようなものを感じてしまうのである.


そしてその永遠性は,間違いなく甘く,子供たちの夢に満ちている.ヘンゼルとグレーテルのお菓子の家のように,金泉堂のチョコレートのお城は,世界の子供たちの夢である.永遠に続くこの物語の中で,子供たちはいつも金泉堂のお菓子をおいしく食べているような気がしてくるのである.


一方で,21世紀に生きる我々がこの物語を読むとき,また違った思いも去来することだろう.それは,チョコレート戦争は,昭和の物語であるということだ.物価でいえば,ラーメン一杯が50円だったような時代である(一方,金泉堂のシュークリームは,当時で一個80円もする).この時代は,金泉堂のお菓子のように,大人も子供も一緒に憧れるものがあった.しかし,現代の多様な社会に生きる我々には,そんな存在はありえない.すなわち,チョコレート戦争は,失われた世界の物語なのである.(念のためだが,私はいかなる過去の時代にも戻りたいとは思っていない.ただ,ノスタルジーのようなものを感じることがあるだけである)


まとめて言えば,この作品は,永遠に続く物語である一方,失われた物語でもある.言い換えればそれは,甘くて苦い物語であり,まさに,チョコレートのお菓子そのものに他ならない.私にとっては,「チョコレート戦争」は,チョコレートそのものの物語なのである.







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