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ウェブリブログのRSSで広告表示

このブログがホストされているウェブリブログで,RSSに広告が表示されるようになっていた. (7/17)RSSへの広告表示についてのお知らせ ウェブリブログ事務局/ウェブリブログ http://info.at.webry.info/200907/article_11.html この移行作業のせいで,RSSにエントリ更新が反映されないことがあるようだ. 昨日書いたエントリ もRSSに反映されていない. というわけで,メモとテストとを兼ねて,エントリを更新してみる.今度はうまくいくだろうか. 追記 どうも駄目なようである. (7/29)RSSへの広告表示開始について★追記あり ウェブリブログ事務局/ウェブリブログ http://info.at.webry.info/200907/article_16.html この記事にあるように,今日の午後修正作業があるようで,その結果を待つしかないようだ. 追記 (19時15分) ちゃんと RSS に反映されるようになっていた.関係者の皆さんのご尽力に感謝します.

BBC の詩のページ

この分だと7月はブログを更新できなさそうなので,ちょっとした情報を書いてみたい. BBC Learning English の記事を更新しようとして,いろいろと BBC のサイトを見たり情報を集めたりしていたとき,以下のページを発見した. BBC - Poetry Season - Homepage - Discover poetry and vote for your favourite poet http://www.bbc.co.uk/poetryseason/ これは,BBCのウェブページで,イギリスの詩人に関する情報を集めたものである.ミルトンやブレイク,バイロンから始まって,T. S. エリオットはもちろん,現代の詩人に至るまで,イギリスで有名な詩人については,伝記,代表的な詩,動画などのさまざまなコンテンツが掲載されている.残念ながら,著作権管理の関係からか,動画などは日本では見られないようだ.いずれにしても,現在のところはそれほど充実した内容ではないようで,多少まとまった時間があれば,めぼしいところをすべて見ることは可能かもしれない.イギリスの詩に興味のある方は,一度ご覧になるのもいいかもしれない. 関連エントリ: ウェブリブログのRSSで広告表示

山月記 (中島敦)

本屋やネットなどで,泣ける話の特集といったものを定期的に見かける.それなりに需要があるのだろう.そこで,私にとって泣ける話や小説はなんだろうかと考えているうちに,ある小説の書評を書いてみたくなった.泣ける話とは趣旨がずれるのだけれども,私には,読む度にいつも一滴(ひとしずく)の大きな涙を感じる小説がある.それが,中島敦の山月記なのである. 山月記は高校の国語教科書などに採録され,多くの方が一度は読んだことがあるのではないだろうか.特に,冒頭の格調高い一文は,人口に膾炙している名文の一つとして数えられるだろう. 隴西(ろうさい)の李徴は博学才穎(さいえい),天宝の末年,若くして名を虎榜(こぼう)に連ね,ついで江南尉に補せられたが,性,狷介,自ら恃むところ頗(すこぶ)る厚く,賤吏に甘んずるを潔しとしなかった. 簡にして要を得た硬質な文体で,山月記は綴られる.だが,その物語は,このような格調高い文体とは裏腹に,読む者の心をえぐるかのように続いていく. 山月記の主人公李徴は,自らの才を恃み,官職を辞して詩人として名を残そうとする.しかし,文名は容易に揚がらず,その間にも,彼が以前愚物として歯牙にもかけなかった連中が出世していく.自ら恃みとする才能への懐疑と絶望,俗世間で成功した同輩への羨望,そして,自らの人生への後悔.それらは次第に李徴の心をむしばんでいく.そして遂には李徴は発狂し,虎に身を変えてしまうのである. その後,虎となった李徴は旧友の袁傪(えんさん)に遭遇し,変わり果てた自らの身の上について思いを吐露する.李徴を虎に変えたものは何だったのか.それは,己の心の内で飼い太らせた,臆病な自尊心と尊大な羞恥心だったのである.それこそが虎だったのだ. 己は詩によって名を成そうと思いながら,進んで師に就いたり,求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった.かといって,又,己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった.共に,我が臆病な自尊心と,尊大な羞恥心との所為である.己の珠に非ざることを惧(おそ)れるが故に,敢て刻苦して磨こうともせず,又,己の珠なるべきを半ば信ずるが故に,碌々として瓦に伍することも出来なかった.己は次第に世と離れ,人と遠ざかり,憤悶と慙恚(ざんい)とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった.人間は誰でも猛獣使であり,その猛獣...

ガウディの建築と現代の町並み

ネットで下の写真を見かけて,大変興味深く思えた. Antoni Gaudi must be turning over in his grave http://holykaw.com/antoni-gaudi-must-be-turning-over-in-his-grav 写真の広告看板の右にある建物は, アントニ・ガウディ の有名な建築の一つ, カサ・バトリョ である.確かに,これではガウディもその墓の中でひっくり返っているに違いない(Antoni Gaudi must be turning over in his grave).なお,下の写真にもあるように,この時期は,カサ・バトリョの左の建物が工事中だったのではないだろうか. Gaudi, Casa Batllo http://www.panoramio.com/photo/16540736 こうした情景は,日本も含めて世界でよく見かけられることかもしれない.いろいろと考えされられるのだけれども, 上記のページ にあるコメントには,頷かされるものがあった. Apr 06, 2009 Marcel Botha said... This is entrepreneurship, not a blight. Gaudi might have even enjoyed it. There is lots of precedent of contentious advertising funding the cash strapped renovations cloaked beneath. http://www.ericjlyman.com/thrcodecracked.html The power of Gaudi's work lied in the fact that it will survive this, and most of us. 最後に,ブログということもあるし,数年前に私がスペインに旅行した際に撮った,カサ・バトリョの写真を載せておきたい.こうしてみると,素人写真まるだしで,いろいろと粗が目に付くのだけれども,ご笑覧ください. スペイン旅行では,ガウディの建築群も良かったのだけれども,個人的には本場のフラメンコが最も強く印象に残っている.できれば,スペインにはもう何度か行ってみたい.

Mac の設定

ここしばらく,先日購入した MacBook Pro の設定をやっていた.Mac を本格的に使うのは学生時代以来で,もう随分になる.また,仕事の関係上どうしても LaTeX を使う必要があるのだが,LaTeX をインストールするときはいつも同じようなところではまるので(特に ghostscript まわり),後々のため,設定作業ではまったことをメモすることにした.なお,マシンのスペックは,MacBook Pro (Intel Core 2 Duo) + Mac OS X (ver. 10.5.6) である. 以下では,Safari, Mail.app, Finder, トラックパッドの設定を少々,また,今回インストールした,Emacs, LaTeX, ghostscript, gs ビューワ(ghostview, gv 等),X11, 等についてメモしておく. なお,今回,特に以下のサイトの記述が参考になった: MacBookをより使い易くするための基本設定を探る - ザリガニが見ていた...。 How to install X and pLaTeX environments on Mac OS X 以下の記述で,もし間違い等ありましたらご指摘いただければ幸いです. トラックパッドの設定 Dockの「システム環境設定」から,「トラックパッド」→「1本指の操作」の順で,「副ボタンのクリック」の項目をチェックした.これで,トラックパッドにおいて, Windows PC のマウスのような右クリックが可能になった. Safari の設定 デフォルトでは,web ページのリンクのところにマウスオーバーしても,その URL が表示されない.そこで,Safari メニューバーの「表示」から,「ステータスバーを表示」をトグルする.これで,ウィンドウ最下部にステータスバーが表示されるようになる.その結果,たとえばカーソルをリンクにあわせると,その URL がステータスバーに表示される. Firefox のインストール Safari もいいブラウザなのだが,やはり使い慣れた Firefox とそのアドオンの環境は捨てがたいので, Firefox  を改めてインストールした.アドオンはごく基本的なものばかりで,以下のものを使っている: All-in-One Gestures Gre...

夏目漱石先生の追憶 (寺田寅彦)

このブログの左のカラムにある「アクセスの多い記事」というリンク集では,「 こころ (夏目漱石) 」という記事がいつもトップになる.この記事は本当によく読まれ,10000近いユニークアクセス数がある.本ブログには130弱の記事があるが,この記事一つでほぼ一割のユニークアクセス数を集めていることになる.繰り返し読まれている方もいらっしゃるはずで,有難いことだと感謝の念に堪えない思いがする. それにしても,これは,国民的作家としての夏目漱石の人気がいまだに高いことによるのだろう.日本で最も敬愛される作家が漱石なのではないだろうか. このような敬愛される作家としての漱石,また,「こころ」における師弟の関係について考えるとき,私は,寺田寅彦の「夏目漱石先生の追憶」という文章をいつも思い出す.今回のエントリでは,それについて書いてみたい. 夏目鏡子(漱石夫人)による「漱石の思い出」を読むとまた違った漱石の一面がうかがえるのだけれども,少なくとも漱石の門下生にとっては,漱石は敬愛すべき対象だったのではないだろうか.漱石の門下生の一人である寺田寅彦の「夏目漱石先生の追憶」を読むと,その思いが強くなるのである. 「夏目漱石先生の追憶」では,寺田寅彦が漱石と知り合ってから,その死に至るまで,漱石の思い出が語られる.その際の,漱石の面影を語る寅彦の文章には漱石に対する敬愛の念が溢れ出るかのようなのであるが,特に,漱石の死後,漱石への思いを語る以下の文章には目頭を熱くさせられる.  先生からはいろいろのものを教えられた.俳句の技巧を教わったというだけではなくて,自然の美しさを自分自身の目で発見することを教わった.同じようにまた,人間の心の中の真なるものと偽なるものとを見分け,そうして真なるものを愛し偽なるものを憎むべき事を教えられた.  しかし自分の中にいる極端なエゴイストに言わせれば,自分にとっては先生が俳句がうまかろうが,まずかろうが,英文学に通じていようがいまいが,そんな事はどうでもよかった.いわんや先生が大文豪になろうがなるまいが,そんなことは問題にも何もならなかった.むしろ先生がいつまでも名もないただの学校の先生であってくれたほうがよかったではないかというような気がするくらいである.先生が大家にならなかったら少なくももっと長生きをされたであろうという気がするのである.  いろいろ...

勉強する子供たち

以下のニュースを読んで,話は少しずれるかもしれないが,思ったことを書いてみたい. このニュースを見て,少し泣きそうになった.私は,本を読んだり一生懸命勉強したりする子供たちを見るのが好きだ.そこには希望がある. 世界中の子供たちを囲む環境は,日本の我々が想像する以上に苛酷なものもあるだろう.勉強できるだけ余程ましな状況なのかもしれない. だから,子供たちが望むままに勉強できるような世界になる日が,早く来ればいいと思う. 自分の今やっていること,そしてこれからやることが,いささかなりともそういう世の中のために役立てられればと思う. 関連エントリ 人間はどんなところでも,どんな時でも何歳からでも学ぶことができる 勉強する子供たち(2) 勉強する子供たち (3)