投稿

ブログ開設6周年と21万アクセス突破

6月18日に,ウェブリブログ事務局から以下のようなメールが届いていた. ○━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●           ブログを開設してから、もうすぐ6周年!!●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━○ ウェブリブログに登録してから、あと2日で6周年になります。 ウェブリブログ事務局のまーさです。 ご利用いただき、ありがとうございます!     A Day in the Life       http://dayinthelife.at.webry.info/ この6年間にあなたのブログで生み出された訪問回数は・・・     210027 件 になります。 (以下略) このようなお祝いメールは以前は送られていなかったと思うが,なぜ6周年という半端な区切りで送られてきたのか.ひょっとして6は最小の完全数だからか.すると,次のお祝いメールは開設28周年になってからか・・・などと馬鹿なことが頭に浮かんだが,単に,1周年ごとに開設祝いメールを送るようなサービスが,今年から始まったというところが真相だろう.もちろん,今まで私が気付かなかっただけという可能性もないではない. それにしても,上記メールによれば,本ブログは2005年6月20日に開設したことになる.続けているというのが気が引けるくらいの更新頻度だが,それでも6年は細々と続けているわけで,いろいろと感慨深いものがある.だいたいは以前書いた内容( 10万アクセス突破 -- 有難うございます )と同じような思いなのだが,また別の思いもある. ブログも6年も続けていると,アクセスの数はそれほど気にならなくなってくる.しかし,アクセスカウンタの数が増えていくということについては,ある感慨のようなものを抱くようになってきた.それは,このブログを実際に読んで下さる方の存在を実感するようになったということである. 私のようなものでも,この6年は,仕事においてもプライベートにおいても大きな出来事がいくつもあった.そして今年3月には,多くの方々が犠牲になった,東日本大震災が起こった.それは,私の考え方や,大げさに言えば生き方をも大きく変えるような出来事であった...

I was born (吉野弘)

ここ数年,高校の教科書を読む機会がある.この年になって読む教科書は,自分が高校生だった頃に感じた以上に面白く感じる.特に,私の高校時代の現代文教科書に載っていた題材が,いまだに採録され続けているのを見つけると,非常に興味深く感じる.たとえば,吉野弘の現代詩「I was born」などがそうである.こうした作品を読むと,高校のときの自分と,現在の自分との違いについて,さまざまな思いが浮かんでくる.今回のエントリでは,例によってまとまりがないが,I was born という詩について,そうした思いを書いてみたい. I was born では,「僕」は,ある発見を興奮したようにその「父」に話す: そのとき僕は〈生まれる〉ということが まさしく〈受身〉である訳を ふと諒解した.僕は興奮して父に話しかけた ――やっぱり I was born なんだね―― 父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ.僕は繰り返した. ――I was born さ.受身形だよ.正しくいうと人間は生まれさせられるんだ.自分の意思ではないんだね―― だが「父」は,「僕」の発見に応えようとせず,一見関係のない話を始める.  父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした. ――蜻蛉(かげろう)という虫はね 生まれてから二,三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何のために世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね―― そして「父」は,ちょうどそのころ「僕」の「母」が亡くなったと話す.だが「僕」も,「父」の意図が分かったわけではなかった.  父の話のそれから後は もう覚えていない.ただひとつの痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった. ―ほっそりとした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体―― この詩を読むと,いつも,高校生のころ初めてこの詩を読んだときに感じた思いを思い出す.それは,決して好意的なものではなかった.むしろ反発のようなものであったと思う.その思いをもう少し詳しく書いてみよう. この詩の中で,「父」は,「僕」に何かのメッセージを伝えようとしている.それは,あえて残酷でかつ単純な見方をすれば,「僕」のせいで「母」が死んだとも取られかねないものである.ただ,そういった単純なものではなく,「父」が伝えたかったのは,もっと一般的な,人生のある恐ろしい真実のようなもの...

人は皆「自分だけは死なない」と思っている

今日は所用で休みを取っているところだが,用件も終わったので,ゆっくりしている.3月の大震災以来,いろいろあったが,このブログもおいおい再開していこうと考えるようになった. というわけで(?),以下のブログ記事を読んで,その内容とは関係ないのだが,思いついたことを記録のために書いておきたい. 人は皆「自分だけは死なない」と思っている -防災オンチの日本人 http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/04/post-1422.html これを読んで,夏目漱石の「硝子戸の中」所収のある小節を思い出した.青空文庫の 該当ページ から引用する.  私は宅へ帰って机の前に坐って、人間の寿命は実に不思議なものだと考える。多病な私はなぜ生き残っているのだろうかと疑って見る。あの人はどういう訳で私より先に死んだのだろうかと思う。  私としてこういう黙想に耽(ふ)けるのはむしろ当然だといわなければならない。けれども自分の位地(いち)や、身体(からだ)や、才能や――すべて己(おの)れというもののおり所を忘れがちな人間の一人(いちにん)として、私は死なないのが当り前だと思いながら暮らしている場合が多い。読経(どきょう)の間ですら、焼香の際ですら、死んだ仏のあとに生き残った、この私という形骸(けいがい)を、ちっとも不思議と心得ずに澄ましている事が常である。  或人が私に告げて、「他(ひと)の死ぬのは当り前のように見えますが、自分が死ぬという事だけはとても考えられません」と云った事がある。戦争に出た経験のある男に、「そんなに隊のものが続々斃(たお)れるのを見ていながら、自分だけは死なないと思っていられますか」と聞いたら、その人は「いられますね。おおかた死ぬまでは死なないと思ってるんでしょう」と答えた。それから大学の理科に関係のある人に、飛行機の話を聴(き)かされた時に、こんな問答をした覚えもある。「ああして始終(しじゅう)落ちたり死んだりしたら、後から乗るものは怖(こわ)いだろうね。今度はおれの番だという気になりそうなものだが、そうでないかしら」 「ところがそうでないと見えます」 「なぜ」 「なぜって、まるで反対の心理状態に支配されるようになるらしいのです。やッぱりあいつは墜落して死んだが、おれは大丈夫だという気になると見えますね」  私も恐らくこういう人の...

東北関東大震災

イメージ
初めに,今回の東北地方太平洋沖地震において被害に会われた方々に心からお見舞い申し上げます. 今回の震災に際して,実生活でもできることはやっておりますが,このブログの範囲でもできることはないかと考えました.もとより,有用なことが書けるとは思っておらず,また,まとまりのない内容になりましたが,少しでも共感できるものになっていれば幸いに思っています. ここ数日,ニュースの報道を見るたびに,つらい思いをしております.震災に遭われた方々がどれほど悲痛な思いをなされているか,想像するさえ耐えられないような気がします.私にも知り合いが福島,茨城におり,地震直後の週末は,安否確認等でいろいろと心痛めておりました. もちろん,今後予断を許さないとはいえ,現段階では大きな被害に遭ってない私は,震災者の皆さんのつらい思いを分かっているとは言えないでしょう.けっきょく自分の身に引きかえていろいろいと想像しているにすぎず,そうした点からは遣り切れない思いもします. それでも,ここ数日,知り合いとの連絡や,多くの町を飲み込んだあの巨大津波などの映像をそれこそ一日中見続けた結果,大きなストレスを感じるようになりました.いわゆる PTSD (心的外傷後ストレス障害)については,経験したわけではありませんが,なるほどあり得るだろうというような実感を持つに至っています. それで,今日まで,生産的なことは何もやる気が起きませんでした.このブログも,どうせ大したことも書いてないし,いっそ閉じてしまったほうがせいせいすると思ったくらいです.そんなときに,以下の写真を見ました.仙台空港に避難している男の子が撮影した女の子の写真だということです. 【東日本大震災】仙台空港に避難している男の子が撮影した女の子。過酷な状況にもかかわらず元気いっぱいだった=13日午後、宮城県名取市の仙台空港 - MSN産経ニュース https://sankei.jp.msn.com/affairs/photos/110313/dst11031319000085-p1.htm いままで悲惨な映像ばかり見てきたせいか,この写真を見たときには,恥ずかしながら涙が出てきました.また,大した被害にも会ってない私が,つらいだなどとネガティブな気分になっていることが情けなくなりました.私たち大人は,これらの子供がこの笑顔のままに生きていくことがで...

ロマンチックな話3題

イメージ
年度末ということもあるが,忙しくて1月はブログを更新することができなかった.これが今年最初のエントリということになるので,おめでたい話題をということで(?),昨年末から1月にかけて知った,ロマンチックな話を3つここに書いておきたい. ケイト・ミドルトンさんのためのウェディングドレス これは某日記で既に書いた話であるけれども,せっかくなのでこのブログにも記録しておきたい. イギリス王室のウィリアム王子と,ケイト・ミドルトンさんが今年の4月29日に結婚することが決まったようだ.これに関し, 29 Famous Fashion Designers Sketch Wedding Gowns For Kate Middleton  という記事で,有名ファッションデザイナーがケイトさんのウェディングドレスをスケッチしたものが紹介されていた. 上記記事には,他にも素敵なウエディングドレスのデザインがあるので,ぜひご覧ください. 飛行機の中でプロポーズ 以下の YouTube の映像は,「 世界一ロマンチックな映像その2 」という記事で知った. バルセロナに向かうある飛行機の中で,フライトアテンダントのベラ・シルバさんは,普段通りに仕事をしている.すると突然,彼女の恋人がマイクを持ってプロポーズを始めた.もともとの言葉はポルトガル語らしくよく分からないので,通訳された英語のプロポーズの言葉をここに書き記す. "Vera Silva, there are two reasons for my presence on this flight.  The first is because I love you a lot and because I want to ask you a question.  Will you marry me?" (a few seconds later) "... Si (yes)" (拙訳) 「ベラ・シルバ,僕がこの飛行機に乗ったのには二つの理由があるんだ.一つ目は,僕が君のことをとても愛しているから,二つ目は,君に聞きたいことがあるからなんだ.僕と結婚してくれるかい?」 (数秒後)...「はい」 なんという破壊力のある動画だろうか.べたな展開ではあるけれども,他人のロマンティックな話というのはとてもいいものだ....

生への執着

大した内容のエントリではないけれども,せっかくなのでブログに記録しておきたい. 一週間ほど前になるが,下記の動画を見て大変興味深く思った. Kinect + HMDでバーチャルリアリティ Kinect + HMDでバーチャルリアリティ - ニコニコ動画 なお,youtube でも 同じ動画 が見られる. 研究室レベルならともかく,もう家庭で上記動画のようなことが実現できる時代になっている. Kinect というのは,相当に面白いデバイスのようだ.来年はきっともっとさまざまなことができるようになっているだろう.Kinect に限らないが,こうした技術を見るとわくわくして,まだまだ死にたくないなあと思う. そう考えてみて,池波正太郎の「食卓の情景」( 本ブログの記事 )にある,ちょっとしたエピソードを思い出した.著者は,京都に旅行後丹後に寄り,宮津で甘鯛(ぐじ)を買い求め,帰京する. 「重いのに,よせばよかったのに…」 などと母や家内にいわれたけれども,翌朝,かるく焼いて食べてみると,塩加減がよく,おもわず舌つづみを鳴らしてしまった. 母は眼を細めて,甘鯛を食べ終え, 「もう,死んでもいいくらいにうまかった」 と,いいさし,ちろりと私をぬすみ見てから,こういった. 「でも,私が死んだあとで,テレビが,どんなにおもしろい番組をやるかとおもうと,こころ残りがしてねえ」 「食卓の情景」が書かれた当時(1980年ごろ),池波の母は70歳以上だったはずだが,その時代の老人の娯楽としてテレビは大きな位置を占めていたのだろう.たわいないエピソードと言えばそれまでだが,私はこの話が好きだ.そして,上記動画を見たときの私の心境も似たようなものだろう. 自分の仕事の上でやりたい事や,ネットでは言及しないことにしているプライベートなことを考えても,あと少なくとも2,30年は死にたくないと思い,またその気持ちは年々強くなっている気がする.こうした思いが生への執着ということだろうし,年をとるということなのかもしれない.ただ,長生きしたいという思いは,どこかかすかに不遜なところがあるような感じもするし,けっきょく寿命というのは神の思し召しで決まるものであるから,長生きしたいと考えても意味がないといえばないのかもしれない.一日一日,真摯に生きていくことが,人間のできる最大のことなのだろう. ・・・ ...

坊っちゃん (夏目漱石)

先日のエントリ( 仰臥漫録 (その2) )で夏目漱石の「坊っちゃん」に少しだけふれたこともあり,あらためて読み返してみた.この小説は何度か読んだが,最後に読んでから,かれこれ20年ほどにもなるのではないか.読了後,いろいろと思うことがあったので,ブログの記事にしてみたい. 「坊っちゃん」のストーリーは,単純明快である.「親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている」性格の坊っちゃんは,東京の物理学校卒業後,四国の田舎の(旧制)中学に教師として赴任する.その直情径行な性格ゆえに坊っちゃんは周囲と様々なあつれきを起こすが,同じような性格の山嵐とは意気投合する.ところが山嵐は,教頭である赤シャツにとって目の上のこぶのような存在であり,ついには辞職させられる.赤シャツは帝大卒の文学士でありながら,陋劣で権謀術数を用いるタイプとして描かれており,英語教師であるうらなりの婚約者であるマドンナを我がものとするため,うらなりを宮崎の延岡においやってしまう.こういった状況に憤った坊ちゃんと山嵐は,芸者遊び帰りの赤シャツとのその太鼓持ちである野だをつかまえ,鉄拳制裁を加える.その後坊ちゃんと山嵐は学校を去り,坊ちゃんは東京に戻って下女の清と再び暮らしたのであった. 「坊ちゃん」の内容は大衆的であり,また小学校の国語教科書にその冒頭の部分が収録されることも多いことから,漱石の作品の中では最もよく読まれているものの一つといわれている.しかしまた,それ故に,この小説はあまり高くは評価されていないように思える.Amazon の書評を2,30読んだ限りでも,好意的な内容でも,痛快な小説である,あるいは,漱石作品への導入としていいのではないか,といったものが多いようだ.一方,否定的なレビューとしては,はっきりと駄作であると決めつけているものも散見した. 確かにそういった意見も一理あるとは思うのだが,私には,「坊っちゃん」という小説はそれだけではないように思われる.では,「坊っちゃん」はどういう作品だろうか.単純にまとめれば,「坊っちゃん」は,敗北と勝利の物語であり,そして,「マドンナ」の物語であるといえるのではないだろうか. もちろん,人生を勝ち負けで分けることには意味がないことは,重々承知しているつもりである.しかし,この小説ではその輪郭があまりにもはっきりしているように思われる(そのことは,こ...