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平成の終わり

先日のエントリ( 平成30年の出来事 )に書いたように、立て続けに大きな出来事が、平成の終わりとなる今年に起きている。そこで、平成という時代に思いを馳せざるを得なかった。 私は、平成という時代には、万感の思いがある。そこで、まとまりのない内容ではあるが、エントリにしてみたい。いろいろ差し障りのあることは書けないので、漠然となるのはご容赦ください。しかし私には分かるので、私にとっては備忘録のようなものである。 改めて、私にとって平成とは何だったか。 ぱっと脳裏に浮かぶのは、青春という言葉である。豪雨災害があったときに不謹慎かもしれないが、全体で考えると、私にとって平成とは、人生において最も多感な時代であり、青春という言葉が思い浮かぶ。 私も、学生時代にはいろいろあった。しかしそれをここに書いたとしても、興味深くはないだろう。我ながら、凡庸な学生時代だったとしか言いようがない。 ただ、社会人となってからのプライベートについては、多少波乱万丈なところもあり、面白いと思ってもらえるかもしれない。特に、臆面も無く言えば、長い間かけて、愛というものを知った。そして、それが自分の中で確固としたものとして存在するまで、ある程度の時間がどうしても必要だった。 これには私の誤解もあるかもしれない。だが、そのありうる誤解も含めて、私の人生だと思っている。 こうした、いわば愛をめぐる機微については、実は折に触れてブログに書いてきた。読者の皆さんには伝わっていないかもしれない。それでも、今後とも書いていくだろう。 そして、私にとっての平成を彩るもう一つの要素として、仕事がある。ただ、仕事については、その結果について、まだ納得はしていない。まだまだやってないこと、やるべきことが山積している。しかし、それについては基本的には実名が出るところで書きたいと思っているので、このブログで書くことはあまりないだろう。 もちろん、この間、世界では様々なことが起きた。しかしこのエントリでは自身のことに限定したい。 そうすると、上に書いたようなことが、私にとっての平成だった。今から思えばそれは、青くて、未熟だった。それは一言で表すとすれば、青春としか言いようがない。 もちろん客観的に見れば、私のようないい年をしたおっさんが、青春なんてよくも恥ずかしげもなく言えるなとは思う。ご指摘まことにごもっともではある。私も...

平成30年の出来事

7月6日に、麻原彰晃(本名: 松本智津夫)死刑囚の死刑が執行された。 オウム真理教 松本智津夫死刑囚に死刑執行 | NHKニュース https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180706/k10011513621000.html 戦後最大規模の死刑執行、世界に衝撃 非人道的と批判も:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASL766R87L76UTIL055.html 平成の一つの大事件が、平成の終わりである今年に、ある区切りをつけた。 また、西日本で、平成最大の豪雨被害が起きている。 西日本豪雨、平成で最大被害 治水の想定上回る  :日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32772080Z00C18A7MM8000/ 死者126人、不明79人 平成最悪の被害、西日本豪雨:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASL79662YL79PTIL04V.html   平成最悪、豪雨死者127人に…依然不明61人 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) https://www.yomiuri.co.jp/national/20180709-OYT1T50042.html   ニュースを見ると、本当に痛ましい。 今回の豪雨で被災された方々にはお見舞い申し上げます。 (追記: 2018年7月12日) 相当大きな災害となりそうです。 豪雨被害 175人死亡 62人安否不明 | NHKニュース https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180710/k10011526191000.html 西日本豪雨:死者176人不明61人に 猛暑の中捜索活動 - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20180712/k00/00m/040/083000c (追記: 2018年7月14日) 死者200名超、行方不明者50人弱、家屋被害が2万6千棟超、大変な大災害になりました。 西日本豪雨、特定非常災害に指定へ 豪雨災害では初めて:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASL7F7FBCL7FUTFK02...

「痴呆老人」は何を見ているか (大井玄)

単純にいえば、認知症とは、知力、記憶力等のいわゆる認知的な能力が衰える症状である。しかし同時に、認知症は、人間とは何かという根元的な問題を、我々に問いかける存在でもある。 本書は、終末期医療の専門家である著者による認知症の入門書である。出版の経緯から、本書は、平易ではあるものの、類書より哲学的アプローチも試みられている。 この本で印象的なのは、まず、著者が認知症医療に始めて取り組んだときのエピソードである。著者は、長野県佐久市で、認知症の老人を診断する事業に参加した。だが、その宅診は決して容易ではなかった。 そこで見た半身不随の老爺やしょんぼり座っている認知症の老婆の姿は、老いというものを残酷なまでに著者に見せつける。そしてそれらの老人の姿は、著者の当時の能力主義的価値観の対極に存在するものであり、かつ、有効な治療法がないことから、自らの無力をかみ締めさせる。 結局著者は、アルコールに逃げるまでになり、ついには急性の抑うつ反応を呈するまでになる。 しかし、このような著者に救済の可能性を示したのも、認知症の老人たちであった。著者は、宅診のとき、ある老女に出会う。 ある時、着物姿の認知症の老女がぽつねんと薄暗い小部屋に坐っている姿があまりに哀れで、思わず彼女の横に坐り肩を抱きました。すると、彼女の目から、大粒の泪がとめどもなく溢れ出てきます。孤独を言葉で慰めるのが不可能なことは、部外者のわたしでさえ理解できました。彼女のような反応を示す認知能力の衰えた女性にその後何人も出会い、こじれた人間関係の最果てを見る想いがつのりました。 この時に肩を抱いた行為は、何も問題を解決しないどころか、著者の絶望を深めるだけだったかのように思える。しかし、その行為こそが、後の救いのきっかけだったのではないだろうか。 本書では、認知症について様々な視野から思索が積み重ねられる。たとえば、認知症老人には、意図的ではなくても彼らなりに生きようとする働きがある。著者はそれを「いのち」を維持するためと考える。つまり、世界や人格、世界との関係を認知症の老人が仮構するのも、いのちを維持するための一環である。このような考察も重要な示唆に富んでいると思われる。 しかし、この種の本で特に読者が知りたいと思われるのが、認知症の対処ではないだろうか。 たとえば、現在いわゆる「老老介護」が一般的になりつつある。介護...

私をとりこにした三人の「女王さま」(宮尾登美子)

「心に灯(ひ)がつく人生の話」(以下、本講演集と呼ぶ)は、端的に言えば著名人の講演集である。もともとは、文藝春秋で行われた講演の中から選ばれたものが、単行本として出版された。また、文庫化の際、いくつかの講演が追加された。 そして、本講演集を読みなおしているうちに、所収の宮尾登美子の講演について、ブログを書いてみたくなった。 作家として、宮尾登美子の名前を聞いたことがない人は少ないのではないか。10年ほど前、宮尾登美子原作による大河ドラマ「篤姫」がヒットしたことは記憶に新しい(原作は正確には「天璋院篤姫」)。 また、年配の女性には、宮尾登美子のファンがそれなりにいるような印象がある。かくいう私の母も、宮尾登美子の愛読者である。そこで実家には、宮尾登美子の小説がそろっていて、私もいろいろ読んだことがあった。これについては後で簡単に触れてみたい。 さて話を戻すと、本講演集には、1997年山形グランドホテルで行われた宮尾登美子の講演「私をとりこにした三人の「女王さま」」が収められている。深く掘り下げてはいないものの、宮尾登美子の生涯や、その文学活動について本人が語っており、興味深い。本講演集のその他の講演同様、宮尾も講演巧者で、聴衆の満足度も高かったと思われる。 たとえば、この講演は以下のように始まる。  みなさん、こんばんは。  私、この山形は大好きな土地で、ちょくちょく伺っております。いちばん最初は三、四十年昔じゃなかったかと思うんですけど、この山形の方から「ここは雨が真っ直ぐに降る土地です」と聞かされてとっても嬉しくなり、それから大好きになったんです。  私の故郷の土佐は、雨は真っ直ぐには降りません。ぜんぶ横なぐりです。海を前にしておりますから台風も来るし、災害も多い。ところがここでは雨が真っ直ぐに降るせいか、とっても穏やかな人が多いし、それにお付き合いが長く長くつづきますね。ふつう、ファンレターをいただいたり、何かのきっかけでお友だちになっても、途中で途切れてしまうケースが多いんですけど、山形のお友達は、今でもつづいてますの。 さすがに実にうまい導入である。私がもし山形県民なら、これだけで夢中になって講演を聴くことだろう。 宮尾登美子は、第二次世界大戦時に満州に渡り、その引き上げの際などに辛酸をなめた。そのときの苦労があるから小説を書いてるし、生きていると宮尾自身が...

長く生きるということ、そもそも生きるということ

以下のような記事を見た: ジャーナリスト佐々木俊尚氏流、「人生100年時代」をより軽やかに生きるためのコツ。 | リクルート - Recruit https://www.recruit.co.jp/meet_recruit/2018/04/sc10.html これをきっかけに、最近思っていることなどブログに書いてみたい。なお、以下に書く内容はいわば備忘録のようなものであるから、上記記事とはあまり関係がない。 諸般の理由もあり、最近、ある老人たちを見かける。この老人たちを見るたびに、正直言うと、複雑な気持ちになる。それは、長く生きるということに対する複雑な思いである。 長く生きるということは、人類の夢である。私でも、長く生きて、科学の進展をみてみたいという思いは強くある。毎日新しい技術が生み出される。たとえば、世界は10年前と比べ、どれだけ変わったか、便利になったか。それにささやかながらも関わることの喜びがいかばかりか。世の中は、わくわくするような出来事に溢れている。 一方で、長く生きるということは、心躍ることばかりでもない。長く生きるということは、言うまでもなく、老いに直面するということでもある。 この高齢化社会のことであるから、読者の皆さんも、何らかの形で老人と接したことがあるだろう。老人とは、老いのもつ、生きるということの影を体現する存在でもある。 認知症の老人。一人では起き上がることもできず、1日中寝たきりの老人。そこまでなくとも、気力もなくてテレビだけを見続ける老人。 一体、生きているということは如何なることであろうか。そして、私はそこまでして長く生きたいだろうか。 この老人たちは、たとえずっと先の話だとしても、すなわち年を取ったときの私である。そう思えば、そのとき浮かび上がってくる感情は、ありていに言えば、恐怖である。 (実は、これは私自身がもつ差別心の表れかもしれない。これについては、別エントリで書いてみたい) しかし私は、卑怯かもしれないが、これ以上自分の心理に立ち入ることはしない。私は、老いの不安とともに生きていくことを選ぶ。ただ、太宰治の「斜陽」から一節を引用するに止めておく。 ああ、何かこの人たちは、間違っている。しかし、この人たちも、私の恋の場合と同じように、こうでもしなければ、生きていかれないのかも知れない。人はこの世の中に生れてきた以上は、...

I Have a Dream

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最近ネットをしていて,キング牧師(Martin Luther King, Jr.) の歴史的な演説,いわゆる「I have a dream」 と題されるもののことを思い出した.私はそれについて論じる資格はないので,詳しくは <a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/I_Have_a_Dream" target="_blank">I Have a Dream - Wikipedia</a> などを参照されたい.このエントリでは,その演説に関わる思いをいろいろと考えているうちに,多少感傷的な気分になったので,その記録もかねて書いてみたい. キング牧師の「I have a dream」動画は以下のとおり. また,その全文は以下にある. I Have A Dream Speech (TEXT) | HuffPost キング牧師の演説を初めて見たのは,高校のときの英語の教材としてだった.当時の英語の先生が,この演説の全文を覚えておくように勧めたのを思い出す.それで私も挑戦してみたのだが,途中で飽きて,結局全文を覚えるまでには至らなかった.この演説に,興味を持てなかったのである. しかし今この演説を見ていると,高校生のときには感じられなかった,深い感動にとらわれる.一般的には,感受性が強いのは若いころで,年をとってからは,それは鈍くなる一方だと思われている.しかし実際におっさんになるまで生きてみると,若いころとは違った感受性があり,それに基づいた感動も多くあるように思う. それは,ポジティブに考えれば,これまでの人生経験や,自らにある愛によるもののように思われる.それらは,若いころにはなかった経験であるし,また自覚できなかったものでもあった. 一方で,ネガティブに見てみれば,それは,いわば暗い情念に基づいているようにも感じる.それこそが,人生の哀しみということかもしれないが. 私に「I have a dream」をすすめたあの英語の先生は,当時何歳だったか.ひょっとしたら,今の私の年より若いかもしれない.あるいは,もっと年を取っておられたかもしれない.いずれにせよ,高校のときの恩師は,すでに鬼籍に入っている方も多いのではないか. 若いころは,30才以上の大人を見ても,その年齢など...

ブログ開設12周年と,今後ブログに書いていきたいこと

他にネタはないのかと読者から叱責を受けそうではあるが,恒例のエントリである.いやもちろん,書いてみたい話は他にもあるのだけど,時間もないし,それを書くにしても,とくにかくこのネタを書かないと,次にいけないような気がするので…. それはともかく,本ブログもとうとう12周年である. 日付: 2017/06/18 8:03 件名: 祝ブログ開設12周年! ○━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━●            ブログを開設してから、もうすぐ12周年!! ●━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━○ ウェブリブログに登録してから、あと2日で12周年になります。 ウェブリブログ事務局のまーさです。 ご利用いただき、ありがとうございます!     A Day in the Life       http://dayinthelife.at.webry.info/ この12年間にあなたのブログで生み出された訪問回数は・・・     487439 件 になります。 なんともう,半年前に送られてきたメールである. いつも同じような感慨を受けるのであるが,月日が経つのは本当に早いものだ.本ブログも,とうとう干支が一回りしてしまった.そして今年は,個人的には高低差がかなり大きい年だった.ここ5年くらいでは,もっとも激動の一年だったように思える. そんな年でもネットは続けてきたし,何度も言っているように,ネットで私が最も大事にしたいのは,本ブログであると思っている.ということで,この恒例エントリを書くときには,その理由は何か,ということをぼんやりと考える.それに関して,今回のエントリでは,詩人の文章について,まとまりなく書いてみたい. たいていの詩人は,詩とは何か,なぜ詩を書くか,といった本や文章を書いている.谷川俊太郎などはその最たるものだ.それは,詩人が,詩というものに真摯に対峙し,そして格闘しているからであろう.そして,私は,詩は分からないけれども,詩人のそうした文章を読むのがとても好きだ. ここでは,そうした文章の例として,リルケの「若き詩人への手紙」(高安国世訳)から引用したい. Wikipedia ...